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ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない多いのではないでしょうか。ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました。慶長五年(1600年)忠興公が徳川家康に従って、会津上杉を征伐に出陣した留守中、反家康の石田三成が、大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたが、ガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取り囲まれ、ぜひもなく家来に首を打たせ家屋敷火を放ち、いさぎよく火中に果てました。
この越中井はその屋敷の台所にあったと伝えられています。昭和九年(1934年)当時地元越中町内会の人々相寄り、ガラシャ夫人の徳をしのび、顕彰碑を建立したものです。
(牧村史陽4識・越中町会・頌徳会) |