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善福寺は創建当初「鏡如庵大師堂」と称し、大阪夏の陣の戦死者を弔うために建てられたと伝えられるお寺で、「どんどろ大師」と呼ばれ、親しまれています。この「どんどろ」とは天保5年(1834年)から同8年までの大阪城代で弘法大師を深く信仰した土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)の「土居殿」がなまって、そう呼ばれるようになったといわれています。土井利位は古河藩主で幕府の寺社奉行から大坂城代となり、その後、京都所司代を勤め、天保9年(1838年)には幕府の老中となり、同12年より着手される水野忠邦の「天保の改革」に協力しました。天保14年(1843年)この改革が挫折し、水野忠邦が失脚した後を受け、主席家老に就き、幕府財政を一時的とはいえ、赤字から脱却させています。また、利位は雪の自然科学書「雪華図説」の著者であり、科学者としても高く評価されています。ところで、どんどろ大師は浄瑠璃「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」の「どんどろ大師の場」に描かれ、お弓とお鶴の母子再会の場としても有名です。 |